はじめに

余談(自己紹介)

ざっくり書きます。

管理人 産まれる

統合失調症の母親から産まれる(母は82歳で死去)。
父親は幼少期の丁稚奉公でPTSD(Post Traumatic Stress Disorder / 心的外傷後ストレス障害)になったと思われる。
母が亡くなる数年前まで、父は母の病気を「うつ病」だと思っていて、我々にもそう言っていた。
要するに、統合失調症の意味が分かっていなかった。

そんな親に違和感を覚えたのは中学生の頃。
誰にも相談出来ずに1人で図書館通いをし、精神疾患に関連する書籍を読んでノートにまとめていた(当時「統合失調症」は、「精神分裂」と考えられていた)。
その頃はひとつの図書館に必要な本が揃っていなかったので、色々な場所に行って本を読み漁る。
とにかく今の家庭状況がおかしいのは何故なのか、どうして私の人生がこうなのか、それが知りたかった。

後で聞かされたのだが、本来ならば私には上と下に兄弟が居て、両方流産している。
母が統合失調症でなければ回避出来たと思われるが、今となってはどうでもいいこと。
逆に、私以外に2人もこんな人生をおくらなければならなかったと考えれば、私の2人の兄弟は生まれなくて正解とすら思っている。

学校卒業~家業から開放されるまで

母に「跡継ぎになってほしい」と泣きつかれ、自分がなりたかった職業を諦めて家業を継ぐ(当時は、ある程度家業が軌道に乗ったら抜けて、自分がやりたい職業に就こうと考えていた。しかし私が抜ければ会社が成り立たなくなる為、結局最後まで関わってしまうことになる)。

25歳で結婚し、子どもを2人授かる。

40代後半から、母の介護が本格的に始まる(そうでなくても母は何も出来ないので、これまでも介護をしていたと考えれば一生介護である)。
父は料理が下手(やりたくない)ので、毎日の買い物と料理を私が担当。
それ以外の母の世話は父が行ったが、介護に関わる色々な手続き(例えばケアマネの手配など)は出来ないので、私の会社の仕事量を半分に減らした(もちろん収入減)。
父が亡くなったら会社をたたむつもりが、父は今でも健在。
途中で父に「悪いけど」と伝えて会社をたたんだ。

===============

と、ここまでが私の生い立ち?のようなものです。

では次に、「やっと家業から開放されて、自分がたどり着いた職業はなにか」についてのお話をさせて頂きます。

これもまた至極個人的なお話なので、つまらないと思います。
興味が有る方だけ、お読み頂けましたら幸いです m(__)m

 

次のページへ >